文学的な感性で書かれた「下流社会」の研究
この本では、金または品性のどちらかが欠如している人間を、「しみったれ(ニュープアー)」と定義し、彼らがどのように誕生し、どういう特性があるのかを記述している。
本書が分析の対象としている人間集団は、三浦展氏の書いたベストセラー「下流社会」とだいたい一致している。すなわち、「下流社会」で定義された「SPA系」は本書の「タイプ3」とよく一致し、同様に「フリーター系ないしギャル系」は本書でいう「タイプ2」や「タイプ4」とほぼ同じであろう。
その意味では、本書は「下流社会」の兄弟本であるといってよい。ただし、2人の「兄弟」がそろうと3人分以上のパワーを発揮すると思う。なぜなら、「下流社会」は861件もの有効回答が得られたアンケートを計量分析することで成立している本である。本書では(多分)アンケートなどは行ってなく、著者ら独特の感性で「しみったれ」の生活パターンをとらえ、小説やルポルタージュの手法でまとめている印象が強い。だから、「下流社会」は「しみったれ家族」にデータを提供し、「しみったれ家族」は「下流社会」に脈絡やデティールを与えており、明らかな相補性が見られるからだ。
ここまで書いて、「しみったれ家族」に近い感性を持った文章家を思い出した。それは、20世紀中盤の英国の批評家G・オーウェルである。彼の書いた作品と対比してみれば、「タイプ4」はパリの貧民、ビルマの民衆、「プロレ」とどこか似ているし、「タイプ3」の父親の暮らしぶりは「外局員」そのものである。
オーウェルが終生唱え続けた、1.「品性の維持」=「社会の維持」、2.「教育を受けられないことによる階級の再生産」という観念を、本書の著者らも共有していることは偶然ではあるまい。何か共通の感性がそうさせたと思われる。
いずれにしても、本書は「買い」である。何よりも面白いし、近年まれにみる「大人の道徳」本でもあると思う。
日本を解体した左翼と下層民の恐るべき「連帯」
本書は、消費行動や生活様式に一切の規律を欠き、計画性の欠如した人生を送る集団を「しみったれ家族」と命名し、その発生の要因や、その恐るべき行動様式を実態調査も踏まえつつ、明らかにしたものである。特に本書の分析で最も重要なことは、「昭和枯れすすき」タイプの低所得者層と、「張り子のトラ」タイプの、郊外地域に所得水準と関わりなく「マイホーム」を購入したため、可処分所得が著しく低い集団の二つを「しみったれ家族」の根源としていることである。そしてこれらが合流して、ロードサイドの量販店に出没する「夜間ディスカウントショップタイプ」が発生しているとしている。 その上で、本書は、こうした集団の消費行動を指摘・批判しているのだが、この二つの集団の合流という分析は極めて示唆に富んでいるのではないか。すなわち、この「しみったれ家族」の横行は、近代国家として長い間取組み、実現することのできた、教育水準の向上や規律の徹底、モラルの向上が、ことごとく解体された結果によるものだからだ。 これらの近代的価値観の解体に、戦後民主主義派の左翼的知識人が、「至上命題」として取り組んできたが、こうした人々の出身階層は、まさしく郊外地区の「張り子のトラ」集団ではないか。そして彼らの主張に散見されるのは、最近の安直な「階層社会批判」に見られるように、「負け組」を持ち出し、それを一方的に被害者として規定することである。すなわち、ここにイデオロギーレベルにおいて左翼と下層民の「連帯」が発生していると思われるが、その「連帯」がまさしく本書が指摘したような消費行動の中でも確認できることからも、如何にこの「連帯」が根深いものかを示している。 すなわち、社会的コストでしかない「しみったれ家族」は、こうした二つの集団の恐るべき結合によって登場していることが明らかとなっており、その分析視角と実態を解明した本書の意義は極めて大きいと思われる。
ミリオン出版
畸人さんといっしょ 定本 畸人研究Z (ちくま文庫) だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ 映画秘宝 2008年 04月号 [雑誌] 無境界―自己成長のセラピー論
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